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司法書士協会だより 気仙沼支部雑感

社団法人 宮城県公共嘱託登記司法書士協会
気仙沼支部長 櫻 井 義 人

 梅と桜とこぶしの花が一度に咲き出し、世の中の不景気がどこかへ飛んでしまったような陽気のころ、一通のFAXが入りました。宮城公嘱NEWS vol.7の原稿執筆依頼文でした。その頃の私は毎日が、要件事実は?・・・・主要事実に間接事実、はたまた評価根拠事実と、事実事実に追われている頃で、執筆依頼にはとても頭の廻る状態ではなかったが、〆切期日が迫ってやむなくペンを執った次第です。
 もともと筆不精で文才のない私がペンを執っても何も頭に浮かんで来ませんが、振返ってみると私がこの世界に入ったのは昭和29年ですので、約半世紀前になります。調査士法が昭和25年に施行されましたが、私の父はそれ以前の税務署当時の土地調査員(調査士の前身と思われる)をやっており、子供ながらに土地分筆、地目変換申告、当時はまた第一地類、第二地類(社寺境内地、学校用地、池沼等非課税地)の分類もあり地類変換申告があり、分筆申告の際は賃貸価格の変更も伴うとか、そんな事も聞き挟んで育ちました。当時は大東亜戦争真最中で物資の無い時代、平板道具一式、ポール1本に間縄(測縄)1本で測量を間に合わせた時代の様でした。その父も、昭和25年の第1回調査士選考(経験7年以上の者)は、英語を知らないからと言って受験せず、私に期待を掛けたのでした。運良く昭和29年、測量士と土地家屋調査士に合格しましたが、田舎のことで仕事が無く、花巻の測量会社で河川・海岸測量等に従事しました。
 結婚して子供も生れると、遠くへ出て歩けなくなり、隣接気仙沼市の司法書士・調査士の小野寺悦男先生の事務所に入り、司法書士の認可も受けましたが、小野寺悦男先生が気仙沼桐和測量㈱を設立し、測量士の資格者が必要と言うことで、三年程常務取締役として測量に専念しました。
 身の上話が長くなりましたが、昭和57~8年頃は宮城県嘱託登記委員会の組織があり、公共嘱託手続を官公署から受託して、調査士会・司法書士会会員に配分して5%からの手数料を微収していたと思います。昭和60年、調査士法、司法書士法の一部改正により、現在の社団法人宮城県公共嘱託登記司法書士協会と、同土地家屋調査士協会が設立され、翌年1月頃法務大臣の設立許可を受けて発足したものです。