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編集後記

広報部長 柴田健治

中国の故事に「過ぎたるは及ばざるが如し」という有名な言葉がある。
私も会話の中でよく引用させてもらうが、今の社会においても大変参考になる教訓ではなかろうか。
人間社会の発展は、「もっと」「それ以上」をスローガンに努力してきた賜物である。
高かったカラーテレビやパソコンは、子供の小遣いでも買える価格になり、炊事や洗濯、風呂焚きなどはスイッチひとつでできるようになった。
このように私が幼少の頃と比べても、生活が大変便利で豊かになったのは事実である。
しかし一方で「昔は良かった。」という声が、聞こえてくるのはなぜだろうか。
私たちが育った昭和30~40年代は戦後復興のなか高度成長時代の真只中にあり、文化・経済とも急激に発展した時期である。
社会の制度や仕組みも、今と比べればまだまだ未整備で「アバウト」な社会であったように感じられる。

学校の校庭は大切なコミュニケーションの場、放課後や休日ともなると大人から子供までいろんな遊びをしていたものだ。
ボール遊び、縄跳び、馬飛び、コマ廻し、メンコ、ビー玉、雪合戦・・・。
運動会や学芸会ともなると、校庭の片隅にテキ屋の店が軒を連ねてお祭り騒ぎ。
プールのある学校も少なく、子供達だけで川や海へ行って命を落とすケースもある。
先生が生徒に手を上げるなんてことは当り前、親もまけじと子供を叱りつける。
朝早くから夜遅くまで家事手伝いをさせられ、勉強は二の次だった。
また、物価も高くカラーテレビ、マイカーなどは庶民の憧れ、誰もが豊かな生活を夢見て一生懸命勉強し働いた。

そして現在がある。
アバウトな社会は姿を消し、すべては制度化され「規制緩和」という規則で縛られる。
何事も責任論が台頭し、二言目には損害賠償。
子供が学校で怪我したら、まっ先に教師やその管理者へ賠償を求める。
警戒した学校側も施設へは自由に立ち入らせない。
体罰もできず、PTAと教育の狭間で心が病む教師が続出。
人とのコミュニケーションを嫌いコンピューターゲームに熱中する子供達。
別段ほしいものもなく、人生の目標もない新人類「ニート」・「フリータ-」と呼ばれる人種が出現。
なんとなく昔を懐かしむ人々の気持ちが理解できるような気がする。

平成バブルの時代、ほとんどの人は「バブル経済」などという認識がなく、朝早くから深夜まで一生懸命働いた。
団塊の世代たちは、自分達の努力が今、開花したと思ったに違いない。
その後、国の金融政策ミスが、経済を急激に冷やし大量の倒産、失業時代をむかえることとなるが、その責任を勤勉な国民に転化し「バブルに踊った」と非難した。
世の父親たちは戸惑った。
「ただ、がむしゃらに働いただけなのに・・・。」
さながら、その姿は終戦時の兵士たちと酷似する。
彼らは自信を喪失し、その子供達は勤勉だった親父の成れの果てをみて教訓を得た。
「過ぎたるは及ばざるが如し」と。

人間である以上、必然的に現状の上を目指す。が、はたして本当に良い方向へ向かっているのだろうか。
円高という経済メリットを活かし海外から安い品々を輸入し販売する大型店舗。
いくら出店が自由になったからといってあまりにひどい、既に共倒れの様相だ。
その傍らで、街の小売店、生産者は全滅状態。それに携わる労働者も職を失う。
やがて街が消え、人も消えていく。

200円のハンバーガーが100円で買えるからといって、10万円だったカラーテレビが4万円で買えるようになったからといって、私たちは本当にハッピーになれただろうか。
過当競争による利益圧迫、薄利多売そして供給過剰へと悪循環が続く。
修理代より品代の方が安いという馬鹿げた現象で大量のゴミが発生し、海岸にはテレビや冷蔵庫が泳いでいる。
電力やガソリンなどのエネルギー消費量も増え続け地球温暖化の原因にもなっている。
これまた「過ぎたるは及ばざるが如し」である。

今、測量の世界では、人工衛星を利用して測量するシステム「GPS」が取り沙汰されている。
地球規模で測量して、数ミリの誤差しか生じない画期的なシステムである。
それに呼応するように、世界測地系という新たな座標系となり不動産登記法も改正された。
面積を算出する方法も、馴染みの深い三角形をベースにした三斜法は姿を消し、座標法が主流となる。
これらはすべて、高度な電算システムを必要とするものだが、はたして私たち土地家屋調査士は地質学者か天文学者にでもなろうとしているのだろうか。
万事行き過ぎることの懸念を抱きながらも、時は流れていく・・・。